くらしのための料理学(土井善晴)

「料理学ってなんだ?」

この本を書店で見たとき感じたのはこの一言に尽きる。「栄養学」や「料理の基本」なんて感じの本はよく見る。しかし、「料理学」というとなんだか許容範囲が広すぎやしないか?そう思った。しかも「くらしのための」ってどういうこと?料理は私もよくするからあまり深く考えていなかったが意外と何か「くらし」と関係あるのかな?そういった疑問を抱き興味が出たので読んでみた。

一通り読んでこの本における料理学とは食事に生まれる喜びや楽しむといった情緒を研究することだとわかった。著者によると「合理性を優先して情緒を排除しては、人間らしさを失う」と述べている。この本では和食を主に取り上げながら現代のくらしの中から失いつつある、食事の大切さについて考察している。元々、料理とは食べられないものを食べられるようにすること。おいしさや楽しさを求めるのは二の次だった。しかし、今の時代は「おいしい」という「結果」を求めすぎている。だから、プロセスをおろそかにしてしまう。しかし、プロセスを疎かにしてしまっては料理という行為が無味無臭なものになってしまう。そうではなくて料理の美味しさだけではない、その奥の美意識や想いをくみ取るようにする。そうすると日々のくらしの中に更なる幸せや喜びを見出すことができる。この営みを学ぶのが「料理学」なのだ。

では、料理の「おいしさ」以外の情緒として何があるでしょうか?著者が和食における例として「深化」をあげている。「深化」とは調理したものの変化をしっかり感じ取ることだ。四季折々の変化の激しい日本の風土で生まれた和食は同じ料理でも何かしら違いが生じる。むしろ、その微妙な違いに気づくことが感性を磨き、小さな発見になる。その発見に喜びを見つける。それが和食の美意識であり素晴らしさだ。

だは、上記のような和食の素晴らしさを感じるにはどうしたらよいのか?まず、食事をする際食べ物のの配置を整えることが挙げられる。食器の位置を整えることでこころの平和、安らぎを得て料理に集中しすることができる。そして、目の前の料理の味をしっかり感じて食し、料理を作ってくれた方や素材を生み出した世界に想いを巡らす。その中でさまざまな発見を見つけ出し、幸せを噛みしめる。そうすると日々のくらしが豊かなものとなる。

私もまずは食事する際、場を整えて「おいしさ」以外の日本人が築いてきた美意識、素晴らしさを噛みしめていきたい。

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