「わたしは、もうダメだ」
そんな言葉を何度もため息と一緒に吐き出す。
「どうした?」
その言葉を聞いて何度も話を聞いてくれる人がいる。
それからいつも小一時間どうでもいいような深刻なようなよくわからない話をし続ける。
「最近、天気が悪くて調子悪い。」
「バイト始めたけどすぐ辞めちった。」
「休むことって意外と難しくね?」
「なんで生きてんだか、わからない。」
「この間食べたご飯に石が入っててジャリってした。」
「頑張って生きて何になる?」
「1時間も本が読めた!」
以上が10年以上付き合っている親友との会話。
お互い”生きづらさ”を持ちながら共に生きてきた。
携帯電話の番号を交換した頃から度々電話を掛け合う仲だ。
それは、ただ話して話を聞くだけの時間。
でも、その時間が何よりも幸福だ。
悩みを吐き出し、不満を吐き出しココロが綺麗になる。
相手の話を聞けば、「ああ、みんな同じなんだな」「そういう考えもあるよね」自分にさまざまな気づきと安堵をもたらしてくれる。
だから、親友との電話は続いている。
相手に学び、自分が教えるそんな関係を10年も続けてこれたのは本当に幸運だ。
ある時は大喧嘩をし、ある時は音信不通にもなった。
でも、自然と仲直りしていつもみたいに話し合う。
楽しくて仕方ない。
こういう親友がいるからわたしは今まで生きてこれたのではないだろうか?
”生きづらさ”を持つとどうしても胸の内に溜まるものがある。
それを溜めすぎると暴走してしまうだろう。
でも、たった一人話を聞いてくれる人がいれば暴走することはない。
生きづらさを抱えた時点で一人では生きれないのは当たり前。
生きづらいからこそ、誰かと一緒にいた方がいい。
いつも自分勝手な悩みを聞いてくれる親友がいることはわたしの宝物。
今後も大切にしたい。
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