「洗濯物は同じ向きに揃えて!!」
ある日洗濯物を干していると母がピシャリっと言ってきた。
そのとき、私は「なぜ??」と驚いた。
なんでそんなにキツイ言い方をするのか、ちょっとムッとした。
私にとっては洗濯物の向きなんて揃える必要があるのかよくわからない。
でも、母にとっては何か大切なことのようだった。
なんだか違和感、ズレを感じた。
そのことを少し考えると「これって”基準”が違うんじゃなかろうか?」と気づいた。
そう、母と私では基準が違っているのだ。
私は洗濯物の向きが揃っていなくても「乾けばいいや」という程度の基準だが、母にとっては「向きを揃える」ことは大切な基準なのだ。
”基準”とは「ここからココまでは許容できるけど、ココからは許せない線引き」のこと。
例えば、トイレ掃除だけでも
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いつもピカピカにしていたい人
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汚れたらきれいにすればいい人
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どんなに汚れても気にならない人
いろんな基準を人はそれぞれ持っている。
基準が人それぞれ違っていればそれは争いのタネにもなる。
Aさんにとっては大切な基準でもBさんにとってはどうでもいい基準もある。
だから、いつも一緒に暮らしている家族でも結局は他人同士なのだから基準は違って当たり前。
例えば私の姉は「家をいつもきれいにしていたい」と思っているようで常に掃除に力を入れている。
しかし、そこまで家のきれいさに頓着がない弟の私には「なんでそんなに頑張るのか?」と少々違和感を感じる。
そして、私が少しでも掃除しないと「なんで掃除しないんだ!」とブチ切れる。
でも、私にはブチギレる気持ちがよくわからない。
確かにきれいにしておくのは大切だ。でも、そこまで怒らなくてもいいのではないかと思ってしまう。
ココでもやはり”基準”が違う。
もしかしたら、姉と私とでは見ている世界が違うのかもしれない。
基準が違うとはなかなか厄介だ。
感じる人は感じるし、感じない人は感じないのだから、”認識の齟齬”が起きる。
こういう小さな基準の違いが長年溜まるとストレスとなって「家庭崩壊」や「離婚」などにもつながるのではないだろうか。
では、どうしたらそういう基準の違いによる認識の齟齬を取り除けるのか?
私が思うにお互いの基準をしっかり共有することが大切だと思う。
「ココまではいいけどココからダメ」という線引きをお互いに伝え合うのだ。
基準さえわかっていればお互いにトラブルになることはない。
本当ならお互いの認識を紙に書き出してすり合わせを行うべきだろう。
お互いを尊重して個人の基準を腹を割って話し合うのだ。
そうすれば、無意味な争いを避けられる。
私も家族とお互いの”基準”を話し合ってみようと思う。
基準さえ理解し合えれば「戦争」も無くなるんだろうな、と思う今日この頃。
ストレスフリーに生きよう!
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