「生きづらさ」を「生きやすさ」に変えることは可能か?

「生きづらい」

そう思わない日が続いていた。

12年前に統合失調症と診断された時から、いやそれ以前からずいぶんと生きづらかった気がする。

生きづらさに悩まされ

なぜ、こんなにも生きづらいのか?

統合失調症になって社会に適応できないからか?
生まれつき感覚が過敏で疲れやすいからか?
発達障害グレーゾーン気味で上手に立ち回れないからか?

まあ、多くの原因が絡み合って「生きづらさ」を生み出しているのだろう。

以前は、生きづらさを感じる時に「もっと社会に理解があれば」「こんなに生きづらいのは誰々のせいだ」と自分以外の環境や他人を恨んでいた。

環境や他人を恨めば、気分は少し楽になる。

でも、結局何も改善しない。

周りから「こいつは何をそんなに恨んでいるんだ??」とうとまれ、嫌われるだけ。

自分の評判を下げるだけだった。

でも、どう考えても「生きづらさ」を感じてしまう。

そのうち、「自分が悪いのか?」と自責の念に襲われたりもする。

自分で自分を傷つけ苦しめ貶める。

やっぱり、何も改善しない。

では、どうするか?

「生きづらさ」を「生きやすさ」に変えるには??

答えは「生きづらさ」を認め、どう付き合って生きていくか、またその生きづらさも何か有意義に使えないか試行錯誤することだ。

「生きづらい」のは別に誰のせいでもなくて、ただ課題として目の前にあるだけ。

自分から「生きづらさ」を分離してみる。

少し生きづらさから距離をとってみるのだ。

たいてい、生きづらさで悩む人は視野が狭くなっている。

だから、生きづらさの全体の姿や別の一面が見えてこない。

視野を広げるにはその「生きづらさ」のことをノートに書き殴ったり、誰かに話したりすることがおすすめだ。

生きづらさの姿が見えたら!

そうして生きづらさの全貌を理解すると自分の生きづらさの姿が見えてくる。

「自分は記憶力が弱いんだなー」
「大きな音、騒音がすると疲れる」
「一人の時間があると助かる」

など自分自身の生きづらさの特徴が理解できる。

生きづらさと付き合おう

だんだん生きづらさの姿が見えてきたら、あとはその生きづらさとどう付き合うか、どうしたら負担を軽減できるか考えよう。

「自分は記憶力があまり良くない。だから、メモ帳を持ち歩いて大事なことはメモするようにしよう。」
「あまり騒がしくないところで過ごすようにする」
「大勢の人がいない場所でこまめに休むようにしよう」

思いついた「付き合い方」があったらとにかく試す。

何度かトライ&エラーを繰り返すうちに「生きづらさ」とうまく付き合うことができるようになる。

「生きづらさ」が「生きやすさ」へ変わる

また、試行錯誤を繰り返すうちに「あれ、意外と自分の生きづらさって役立つのでは??」と思える時があるかもしれない。

例えば、わたしはHSP気質で「細かいことを気にしすぎる」という生きづらさがあった。

でも、この生きづらさは「細部まで細かく気付ける」という特性でもある。

だから、仕事先で作業のマニュアルをつくる時に普通だったら気付けない作業の注意点などを細やかに気づき、ミスが起きないようなマニュアルを作ることができた。

このように「生きづらさ」は自分の「個性」で仕事や趣味で大活躍できる可能性を持っている。

生きづらさを使いこなせるようになれば、それは「生きやすさ」にもつながるとわたしは思う。

今まで自分の人生の足を引っ張ってきた「生きづらさ」が考え方を変え、試行錯誤することで「自分の持ち味」になり、「生きやすさ」につながるのだ。

これって結構素晴らしいことだと思いませんか?

最後に

大事なことは「生きづらさ」に絶望するのではなく、「生きづらさ」を受け入れ、共存し、活かすこと。

ぜひ、「生きづらさ」を感じている人に試してもらいたい!!

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