私はなんで生きているのか?
やっぱり自分がなぜ生まれてきたか、その理由や使命について考えることはないだろうか?
今回は「使命」という言葉について考えてみたい。
使命という言葉は「命を使う」と書く。
「使う」はなんとなく意味がわかる。
では、「命」とはなんだろうか?
調べてみると、「命」という字は「天から与えられたもの」という意味がある。
「天から与えられたもの」とは私が思うに「時間」であったり、「肉体」であったり、「精神」であったり、この世の自分のすべてに関わるものだと思う。
つまり「命」とは「与えられたもの」すべてを意味している。
これらを使って生きることが「使命」というものだろう。
で、ここからが大切なことは「与えられたもの」って人それぞれで違うということ。
背が高い人、声が渋い人、優しい人、怖い人、計算が得意な人、さまざまな人がいるということはやっぱり「与えれたもの」が個々人で違う。
人と違うものを与えられているから個性なんてものが生まれるのだろう。
自分に与えられたものが何かを知り、どうやって使うか。
これをまっとうした時、「使命を果たした」と言えるのではないか?
では、私の他人と違う「与えられたもの」とは何か。
そのことを長年考えて一つ思いついたものは「生きづらさ」だと思う。
私はけっこう、「生きづらさ」に悩まされてきた。
統合失調症、パニック障害、HSP気質、発達障害・・・などずいぶん生きづらさを感じてきた。
でも、生きづらいというものは自分の周りと比べて特異な点であることが多い。
自分の周りに統合失調症の人があまりいない、だから周りからの偏見・誤解に悩み、自分を責めて生きづらさを感じる。
人と違うから生きづらさを感じる。
でも、それって他人と違う個性でもある。
そして、その個性(生きづらさ)は他の人には与えられなかったもの、自分に与えられた「命」だ。
だから、私はこの世から「生きづらさ」を与えられたのかもしれない。
与えられた生きづらさは正直、あまり欲しいものではない。
生きづらさなんて与えられない方がいいと思う。
でも、すでに私は「生きづらさ」を与えられている。
だったら、「生きづらさ」という「命」を上手に「使う」ことを考えた方が建設的に「使命」を果たせる。
自分の使命とは「生きづらさを使って生きること」だ。
与えられたものを最大限使って生きていきたい。
そうすれば使命を果たせるはず。
今後も「生きづらさ」を上手に使えるように精進したい。
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