神様を少し信じる理由

私は若干神様を信じた方が良いと思ってる。なぜ神様を信じているかというと私の考えすぎを止めてくれるからだ。私は昔から途方も無いことを考え続けてしまう癖がある。この世の果て、世界の始まりと終わり、自分が死んだらどうなるのか、人生の後悔。考えれば考えるほど恐怖を感じたり、実生活に悪影響がでる考え事。考えてもキリが無いことばかりだ。むしろ、考えない方が良いことだらけ。しかし、どうしても考えてしまうこと。そういった考え事に対して私はちょっとズルイことをする。というか反則技。それが自分の思考、感覚には限界があってその限界の先は超越した存在、すなわち神様の領分だと諦める。まあ、それでも神様って何?みたいな疑問が生じるけど一旦考えすぎにピリオドが打てる。これによって少しは考えすぎによる弊害が減らせる。この方法は言うなれば神様を信じるというよりは神様を使ってると言ったところか。ニーチェ曰く神が死んだ世界で神を信じるなんておかしいかもしれないけどモノは使いようだ。多くの哲学者は考えることすなわち思考を大事にしているようだが正直考えすぎは猛毒だ。幸福論を書いたラッセルも鬱病の原因は考えすぎだと言っていたし、この世に対する問いかけは脳を滅茶苦茶疲れさせるように思う。だから、私は思考のし過ぎ防止のために神様を使う。てか、みんな真面目にこの世に向き合いすぎだ。この世の理とか真理を知らなくても満足のいく生活ができるはずだ。なのに皆考えすぎて壊れてしまう。自分のわからないことは何も無理に答えを出さなくても良いはずだ。神様とか運命とか創造主とか超越者なんていう曖昧なもので代用すればいい。そうすれば考えなくて済む。そもそもこの世界は本当に真理などあるだろうか?道理なんてものはあるだろうか?もしかしたら曖昧な不可解な人間には理解しようのないものかもしれない。だから、無理して考えなくていいように思う。誰からも強制はされてないだろう。

そんな結論に行き着いた私だが、それでもたまに取り留めの無いことを考える。人間って不思議だな。

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