月が美しいと思える大切さ

最近、常々思うことがある。

それは「月を見て美しい」と思えなかったら、自分の精神、肉体、感性あるいは魂がおかしい証拠だということだ。

まあ正直月じゃなくて花でも鳥でも風でもなんでもいいけどとにかく「当たり前に存在しているもの」を見て何も感じることができなくなっている状態はマズいと思う。

無感動な状態。

私は生きづらさを感じ、心を病んでいた時期は正直世界が灰色にしか見えなかった。

花を見ても鳥のさえずりを聞いても風を肌で感じても「無」何も思わないし、感じない。

大好きなお菓子を食べても粘土を食べている気分。

そう感じていた時期が正直何年も続くのはなんとも言えず虚しかった。

しかし、少しずつ時間をかけてでもとにかく、もがいてもがいて今やっとカラフルで美しい世界を感じられるようになった。

そういう経験をしたためか、自分の状態を見つめるときはいつも「月をみて美しいと思えるか」を一つの指標にしている。

要はサンサンと輝く月を見て「美しい」と思えれば正常で「何も感じない」と思ったら、何か自分が危うい状態だと判断できるようになった。

この自分の状態を判断する方法を身につけるのはとても大切だと思う。

個人的に現代人は忙しすぎて「自分の状態がどんな感じか」考える暇がない気がする。

だから、無理をしすぎて精神や身体を壊してしまうのではないか?

無理をしているかどうかを判断する術を持って、時々確認すれば最悪の事態は避けられる可能性は高い。

私は「月を見てどう感じるか」で判断する方法を見つけられて幸運だったと思う。

今、もしあなたが「自分の状態を判断できない」という状態なら、何かしら判断する方法を見つけることをおすすめする。

お酒に毒が入っていれば反応する銀の盃、炭鉱のカナリアのようなものがあれば、安心して生活できるもの。

ぜひ、自分なりの判断方法を見つけてください!

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