今読んでいる「静かな人」の戦略書──騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法 に「自分に合った仕事」を考える4つの質問というものが載っていた。
その一つが「生まれつき才能に恵まれていることは何か」という質問だ。なんでも何か初めてやったとき、努力しなくてもたやすくできてしまって、人から驚かれたり、褒められた経験がそれにあたるらしい。
自分が初めてやったとき、簡単にできて人に褒められた経験??
自分にそんな経験はあっただろうか?
自分の過去の記憶を探ってみると思い当たる節はとりあえず一つある。
それは詩を作ることだ。
私が初めて詩を作ったのは…小学3年生くらいだったろうか。確か学校の授業の一環で習った気がする。
最初とりあえずテキトーに言葉を紡いで何か作品を作っていた。どんな作品だったかはもう忘れてしまった。
ただ、いくつか作品を作っていたように思う。
一番覚えているのは先生に何か怒られた時に謝罪文代わりに詩を連絡帳に書いて提出したことだ。
今思うとなかなか度胸のある行為だ。
その時先生から「うまい詩だ。ただもっと反省しろ!!」と追加のお叱りをもらってしまった。
それでも自分の気持ちを言葉で表すのは面白かった。
昔から引っ込み思案で面と面とを合わせて相手に文句や主張をするのは下手だったから、文字で書き表すことは気楽だった。
そのうち国語の授業で短歌や俳句の授業で作品を宿題として出されたときはいくつも量産して友人に給食のデザートと引き換えにプレゼントしていた。
今思うとこれは闇取引だ。
でも、私の作った詩や短歌を見た友人たちからは
「良くこんなに作品を作れるね。すごい!!」
と、褒められてなかなか鼻が高かった。
しかし、後日私が友人に取引で渡した詩が賞を取ってしまい、私は残念な気になった。
その友人は先生からの質問にしどろもどろに答えているのは笑えたが…。
あれから十数年今でも詩を作ることは続けている。
だから私は詩を作ることが好きだ。
さらに深掘りすると文章で表現することが得意なのかもしれない。
なんというかメタファー、比喩表現が特に好きらしい。
ただ物事をストレートに伝えるのではなく、遠回しにユニークに伝えるのが面白いと思ってしまう。
以前友人紹介の機会に友人のA君を紹介するとき、その友人のことを「夏の日の木漏れ日のような男」と表現した。
そのA君は快活と明るく、それでいて柔らかな優しさのある快男児だった。
だから「夏の日=快活で明るい」、「木漏れ日=柔らかな優しさ」と言い表した。
これがなかなか受けた。それを聞いていた人から
「言い得て妙、面白い表現」と評価してもらった。
自分は普通に表現することにあまり価値を感じない。時にTPOを考えて表現する必要はあるだろう。
でも、やっぱり自分の感じたことを少し趣向を凝らして表現してみたい。
そこに私はセンスを感じる。
以上のことから言葉を表現することが自分の才能に近い部分ではないかと思った。
言葉で表現することは楽しいです!!
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