先日、私が所属している詩の同好会にて会合があった。
去年入会したばかりの会員数12名ほどの同好会だが所属している方の平均年齢は50代~60代くらいではないだろうか?
皆さんお年を召した方が多い同好会だ。
だから、20代そこそこの筆者が入会したことで平均年齢がグンッと下がったらしい。
そこで私は疑問を覚えた。
何故、詩を書く人って若者が少ないのか?
最近テレビで俳句を取り上げている番組が人気を博しているようだ。
川柳は「サラリーマン川柳」が毎年の風物詩になってる。
短歌は女性に人気でインスタグラムでよく投稿されていると聞く。
なんだか詩だけ流行っていないような気がして仕方がない。
何で詩が流行っていない感じがするのか?
その理由はおそらく「自由過ぎる故の不自由」が原因なのではないかと思う。
俳句、短歌、川柳には文字数制限などある程度のルールが存在している。
しかし、詩には特定のルールは決まっておらず、とても自由が利く。
だからこそ、とっつきにくいのではないのだろうか?
格闘技で例えるなら、川柳・短歌・俳句はボクシングや空手、柔道に当たるように感じる。
ボクシングなら足技を使わないので拳で闘えばいい。
柔道なら投げ技、寝技で相手を倒せばいい。
それぞれルールという縛りがあるのでどう戦えばいいか考えやすい。
しかし、詩はどうだろうか。
詩はいうなればルール無用な喧嘩に近い気がする。
特に使ってはいけないことは何一つ存在しない。
文字制限もないし、季語を使わないといけないなんてこともない。
だからこそ、どう作っていいかイメージしづらい。
私も詩をつくるとき、「どうやってこの想いを形にすればいいか」ということにめちゃくちゃ迷う。
なにせ、無数に存在する可能性からひとつを選び、他の可能性を捨てなければならないからだ。
ルールという縛りがあればその無数の可能性もだいぶ絞り込むことができるだろう。
しかし、詩は違う。
詩をつくるという行為は何かを選択するという決断力を必要とするのだ。
この無数の可能性から最も自分が言い表したい言葉の羅列を選び取るのはとても重労働だ。
故に詩をつくるのはとっつきにくいのではないだろうか?
だから、今の若者に詩をつくることを継承するのが困難になっているのではないだろうか?
では、どうしたらもっと若い世代に詩をつくる楽しさを伝えることができるだろか。
そのあために、ある程度詩を書くときに枠組みが必要なのかもしれない。
最初から型破りな素晴らしい詩はできない。
何かしら型を学んでからその型を破ることができるのではないか?
例えば有名な詩人の詩を自分なりに改良を加えて新しく作り直すとか、方法はいろいろあるように思う。
型を学ぶことが大切なのかもしれない。
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