「まだまだ常識に囚われているな。」
そう思うことが増えてきた。
ここ数年で今までの常識が通用しなくなってきている気がする。
今までだったら「それは当たり前だろ!」とか「そうあるべき」と考えられてきたことがだいぶ見直されてきている。
LGBTとかマナーだとか、働き方や生き方が多様化している。
今まで大多数の人が正しいと思っていることではなく、個々人が生きやすいように生きていい世界に変わりつつある。
要は世界が変化している。新しいテクノロジーの登場、生活環境の変化によって変わらざるを得ない。
だから自分の中の常識は常にアップデートしなければならない。
とはいえ、自分の中の過去の常識というのは手強い。
わたしは今世に言うサラリーマンのように週5日で1日8時間も労働に時間を費やしていない。
なぜなら、精神疾患や自分の気質のために決められた時間必ず仕事しなければならない状態に適応できないからだ。
正直、一般的なサラリーマンのように働いたら確実に1ヶ月も待たずダウンするだろう、その自信だけはある。
だから、今はフリーランスのような働き方をしつつ生きている。
自分としては今の生き方に問題はない。むしろ自分の体調と相談しながら働けるというのはかなり恵まれている。
しかし、そこで常識というものが悪さをする。
「どうしてそんなに働かないんだ!」
「みんなと違う生き方をしていていいのか?サラリーマンのように生きるべきるべきでは??」
「その歳になってそんな安定した生き方しなくていいの??」
以上のような心の声が時たま猛威を振るう。
正直今楽しく生きていれば何も問題はないのに心の中に無理やり常識に合わせようとする装置があるらしい。
とにかく、その装置は常識とか普通や安定なんていう言葉が好きなのだ。
自分らしく生きようなんて絶対許さない。
つい、常識から外れていると警鐘を鳴らされてそれに反応してしまう自分がいる。
「やっぱり自分っておかしいのかな?」
「常識通り生きた方がいいのか?」
ついそんなことを思ってしまう。
「まだまだ自分も常識に支配されている・・・」
たいてい深く考える前に立ち止まってその装置を停止させることができる。
でも、いちいち常識に反応するのは結構めんどくさい。
自分の中から早くそういった古臭い常識を抜け出せるようになればもっと生きやすくなるのかな?
賞味期限が切れた常識は早く捨てたいものだ。
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