私は以前とある人からから「使えねーなー、無価値人間。」とか「死ね。」とかひどいことを言われたことがある。この言葉に対し当時の私は「すいません。」と言ってその場を離れ、トイレの個室で泣くしかなかった。非常に嫌な思い出である。「自分は生きてる価値ないのかな。死んだ方がいいのかな。」さんざん思い悩んだ。とんでもなく嫌な気分にさせられた。
しかし、今思い返してみるとなぜ私はショックを受けねばならなかったのか…。少し謎である。なぜなら、「価値のない人間」といわれても今ならそこまでショックは受けないだろう。
なぜならこの世に「価値のない人間」は存在しないからだ。そもそも価値ってなんだ?手元の辞書で調べると『財貨の効用の程度・対象が主観の要求を満足させる性質』とある。今回の場合は後者の意味で捉えるといいだろう。例えば会社で上司にとって部下の行ったことが満足できるものなら部下は上司にとって価値があるということ。要は相手を満足させられれば自分は相手にとって価値ある存在になるということだ。
となると「お前には価値がない」と私に言い放った人(A)にとって私(B)は(A)を満足させることができなかったということだ。ただ、それだけのこと。
ここで私(B)が自分には価値がないと思い悩むのはおかしい。なぜなら(A)にとっては価値のない私(B)だが、この世には(A)以外にも私(B)とつながっているものはたくさんあるからだ。別に(A)がこの世すべてを代表しているわけでもない。私(B)は(A)にとって価値のないだけでその他大勢にとって価値がないわけではない。たとえ、ある個人から、ある会社から、あるコミュニティから「価値がない」と言われてもそれはこの世のすごくすごくちっぽけな存在にとって価値がないだけであなた自身には価値は必ずあります。
そもそも価値がないと他人に言い放つそいつにはあなたが思い悩むほどの価値があるのか考えるべきだ。以外と大したことはないのではないでろうか。たとえそれが仮に会社の上司でも職場を離れればただのひとりの弱っちい人間だ。この世は広いから自分に価値があると思ってくれる人は必ずいるのではないでしょうか?
私が思うにこの世に生を受けたのならこの世で生きているのならこの世にとって価値があるにでしょう。人生を謳歌しよう!
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