#1か月書くチャレンジ 20日目は「今までで一番後悔してること」です。
私が人生で一番後悔してることは「姉の自殺を止められなかったこと」です。
ことの経緯
姉は思春期から「統合失調症」を患っていました。
病状はかなり重く、集中力や記憶力といった認知や「みんなが私の悪口を言っている」といった妄想など多くの症状がみられました。
幾度となく精神病院に入退院を繰り返していました。
そんな折、昨年の九月、残暑の夜に一本の電話が病院からきました。
私は詳しいことを理解できず、両親とともに病院へ向かいました。
病院で見たものは目をつぶって横たわる姉でした。
姉は病院のトイレで首をつって自殺したのです。
まだ、触れれば温かいのに姉の自慢の大きな目は二度と開くことはありませんでした。
”もう、姉は死んでいるんだ。”
そう認識したとたん、涙と嗚咽でその場に崩れ落ちました。
ただただ狂ったように泣き続けました。
自分の中の大切な何かが消えて無くなり、さびしさや悲しみが噴き出しました。
正直、なぜ姉が自殺してしまったのか、よくわかりませんでした。
働いていたら・・・・
ひとつだけ、気になったことがありました。
いつも姉は「働きたい、みんなと同じように働きたい」そういつも口癖のように言っていました。
よく考えると姉は病気になってから一度も「働いた」ことがありませんでした。
病状が重く、とても働くことができなかったのです。
私はそんな姉の言葉が理解できませんでした。
私も姉と同じ「統合失調症」です。
しかし、私はまだ病状が軽くアルバイトや正社員として働くことができました。
そんな私からすれば「働く」ということは面倒で大変なことでした。
なんでそんな「働きたい」のかわかりませんでした。
しかし、姉からしたら「働く」ということはとても大切でやりたかったコトだったのです。
「普通に働く」っていうことはできる人からしたら当たり前なことかもしれません。
しかし、できない人からしたらそれはとんでもなく大事なことなのかもしれません。
働くということは「ここにいていい」と認められる行為で、自尊心や誰かに必要とされることです。
姉はいつも「負い目」を感じていたのかもしれません。
「働けなくてごめんなさい」「迷惑ばかりかけてごめんなさい」
そんなことをいつも言っていたように思います。
もし、そこで「働かなくても大丈夫。迷惑なんてかけてない」と言えていたら、こんな結末ではなかったかもしれません。
あるいは、病気を持っていても働ける環境を用意できていたら、病気でも働ける世のなかだったら、今でもくだらない話で盛り上がって楽しく暮らしていたかもしれない。
そう思うとただただ無念です。
今更だけど後悔しています。
自分はなんて無力なのか、いつも後悔します。
後悔の先に
私は姉のことを思い出すたび、後悔の念に押しつぶされそうになります。
これがある種の呪いのようです。
「どうして死んでしまったんだろう」
いつも悩みます。
でも、答えはわかりません。
でも、やっぱり「働いていたら・・・生きていたのでは」そう思ってしまいいます。
その後私は農福連携を推し進めている農業法人で働き始めました。
農福連携とは「人手不足の農業で障がいなどのため働く場所の無い人が働く」活動のことです。
”今まで病気や障がいで働けない人に農作業という働く場を提供する”
私にはここで働くことが一種の罪滅ぼしのように思えました。
姉のように働きたくても働けない人は多くいると思います。
そういった人に少しでもここに居ていいと思ってもらえる働く場所をつくっていきたいです。
後悔ばかりしていても何も始まらないので少しでも人の役に立つのが私の今のやることだと感じています。
姉のような悲劇はもう、たくさんですから・・・・
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