ただいま、メンタル疾患に関する本の出版を目指して企画書を作っている。正直企画書なんて作るのは初めてだし、本の出版なんてこと自体が初めてで色々戸惑う。要はチャレンジしているわけだ。新しいことにチャレンジしてみていろいろ見えてくるものがある。チャレンジをすることで今まで見えてこなかった自分の強み、弱み、好き嫌いそういった個性がよく見える。これらはチャレンジしてみないことにはわからなかったことだろう。そういったものが見えるとちょっと自分に誇りを持てるようなそんな気分にもなる。しかし、しかしである。見えてよかったものも多いが見たくなかったものも多い。自分とはなんと奇妙なものか?「こんなにだらしないとは…。」「こんな意気地なしとは…。」自分の嫌な面を一番最初に見てしまう。チャレンジにはこういった痛みを伴うことなのだ。見たくもない自分の醜い部分を嫌でも見てしまう。こんな吐き気を引き起こすような部分をどうして見なければならないのか?本来ならそういった醜い部分は見ないふりをしたり、臭いものには蓋をして忘れてしまうものだ。しかし、一度チャレンジを始めてしまうとなぜかそういった醜い部分を直視せずにはいられない。なぜなら、チャレンジしたことを無事終わらせるにはその醜い部分が邪魔だからだ。チャレンジを成功させるにはその醜い部分が壁となっている。その醜い部分を克服することがチャレンジ成功の鍵なのだ。私も企画書づくりを通して自分の醜い部分と戦っている。自分の怠け者な部分、卑怯な部分、弱気な部分、苦手な部分そういった目に付くものと戦うのは正直ラクじゃない。簡単に倒せたら今頃気分はハッピーだろう。でも、実際はとんでもなく強力な敵でとても消耗する。ハッピーとは遠い感情を抱き、「負けました!」と白旗を上げた方がいいとさえ思う。でも、負けを認めた瞬間チャレンジは失敗となる。自分の欲しいものは手に入らず、そのチャレンジに使った時間と労力は戻ってこない。そう思うと退くに退けない。チャレンジした瞬間から逃げ場はないのだ。チャレンジとはとどのつまり自分と戦うことに違いない。だから、負けてはいけないのだ。負けられないのだ。自分に勝って始めて自分に自信を持てる。自信を失ってはチャレンジすることができなくなる。自信がなければ挑戦することが怖くなる。今までより臆病になってしまう。
さて、これ以上臆病にならないように自分と戦おう!!
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